企画18 『Kaleido/m@ster』参加作品 『鏡の中の』

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    『鏡の中の』



 天海春香は時計を見る。午前11時。レッスンの時間はあと1時間を切っていた。
 ターン。ステップ、ステップ。静止。
 2拍置いて、腕を振り上げ、目線を正面に。
 壁一面が鏡張りのレッスンスタジオ。その、鏡の中に、春香の笑顔は無い。
 ああ、こんなんじゃアイドル失格だ、と春香は他人事のように思っていた。
 鏡の中のもう1人、如月千早は、真剣な表情で、それでも、しっかりと笑顔をキープしている。
 春香はその千早の笑顔を見て、今じゃすっかりアイドルだなぁ、と、まるで自分の事のように嬉しく思った。
 その瞬間――。
 鏡の中のジャージの2人。その青と赤の動きが、ズレた。
 あっ ―― 春香の声が響く。
「わ、わわっ!」
 一瞬で、春香の世界が回る。視点が膝の高さに落ちる。
 急にステップを切り返したのが間違いだった。
 手をついてかばいはしたが、春香は腰をしたたかに打ち付けていた。
 はぁ……、と春香の耳に届いたのは千早のため息だった。
「春香、今日はダンスレッスンの仕上げのはずよ」
 首だけ後ろに回すと、春香の目に、腕組みをした千早の顔が映る。
 クールビューティーを地で行くルックス春香の憧れでもあったが、今は、その視線が痛い。
 とりあえず体だけでも、と千早に向き直ったが、立ち上がるタイミングが掴めない。
 結果、春香は腕組みをした千早に見下ろされる格好になる。
「えへへ。ゴメンね、千早ちゃん。もう1回、いいかな?」
 春香は照れ笑いに似せた精一杯の笑顔で聞いてみる。上目遣い。ちょっと大きめに開いた目。
 沈黙。
 静寂。
 凍結。

 如月千早は春香を見る。午前11時16分。レッスンの時間はあと45分を切っていた。
 ターン。ステップ、ステップ。静止。
 2拍置いて、腕を振り上げ、目線を正面に。
 何度となく繰り返した動き、昨日までは確かに揃っていたダンス。
 壁一面が鏡張りのレッスンスタジオ。その、鏡の中に、千早の笑顔は無い。
 千早はゆっくりと首を傾げ、春香の目を見たままゆっくりと眉根を寄せる。
「……どうして昨日より動きが悪いの?」
 ささいな違和感はあった。
 朝の挨拶への返事が、半拍遅かった。ジャージへの着替が、遅かった。
 ちょっと休憩挟みたいんですが、と音を上げるのがいつもより早かった。
 汗が多い。息が上がるのが早い。ペットボトルの水の減りが早い。
 少しずつ。全て、ほんの少しずつ――。
 程度の軽い、体調不良。しかも、原因は自業自得だから、そうとは言えない?
 当たらずとも遠からずといった所だろう、と千早は確信していた。
 その程度には、春香のことを理解している。
 明るさ、優しさ。あるいは前向きな奔放さが彼女の魅力だ、と千早は感じている。
 だが時に、それは彼女の成長の足を止めてしまう、とも感じている。
 ――大丈夫! なんとかなるよ、千早ちゃん!
 これまでは、そんな春香の言葉に救われる事が何度もあった。
 だが、これからはそうはいかないのではないか、と千早は感じていた。
 これまでは愛嬌でごまかせたアクシデントも、アイドルランクが上がれば見逃してはもらえない。
 オーディションに参加するライバル達も、どんどんレベルが上がってきている。
 技術も、感性も、もっともっと研ぎ澄まさなければ通用しないのは、肌で感じていた。
 少なくとも千早だけは、そう感じていた。

 何か、納得の行く答えが聞きたい――千早は、そう願っていた。
 だが、春香は笑いながら、今日はいつもより転んじゃってまーす、と言って笑う。
 差し出しかけた右手を止め、千早はその手をきつく握り締めた。
 春香は気付かず、よいしょ、と地力で立ち上がる。
 千早は、大きく深いため息をつく。
 今日は、ダンスレッスンの仕上げの日のはずだ。
 今日、しっかりとした手応えがあれば、週明けからは歌の方を磨くぞ、とプロデューサーは言っていた。
 千早は、その約束を励みに、ダンスレッスンに全精力を注いできた。
 それなのに――。
「あなたにはプロ意識が足りないのよ!」
 叫んでいた。
 春香の顔から笑顔が消える。
 千早は言った瞬間後悔したし、春香は、言わせてしまった事を後悔した。
 千早は春香の顔を見る事が出来なかったし、春香は、千早に声を掛けられなかった。
 千早の足を止めるものは無かったし、春香は少し、独りになりたかった。
 背を向け、足早に出て行く千早の背を、春香は見る事が出来なかった。
 2人には、どうする事もできなかった。



 11時35分。あと25分経ったら、スタジオに戻ろう――千早は腕時計から目を離す。
 そこでの会話を、千早は頭の中で組み立てる。
 さっきは悪かったわ、ごめんね春香――ううん、私の方こそ。ごめんね千早ちゃん――。
 きっと、こんなに都合良くはいかないけれど、と自嘲する。
 中庭の、小さな緑に隠れるようなベンチで、千早は何度目か分からないため息をついた。
「あ、いた! 千早さーん」
 声。張りのある声。とても分かりやすい、まるで悩みなんて無さそうな声。
 ガラスの扉の向こう、廊下の先で、金色の髪が跳ねていた。
「千早さん今日はレッスン午前だけで、午後フリーだよね?」
 美希はまるで覆いかぶさるような勢いで隣に座り、千早の気持ちにはお構いなしに話を進める。
 まるでライオンね――と千早は思う。
 気まぐれなネコ科の中でも、最も大型で、最も自己中心的。
 弱肉強食のサバンナでも、大あくびをして昼寝をしていられる度胸と実力の持ち主。
 自分の空想に、千早はつい笑ってしまった。
「お昼食べに行こう! 美希ねー、千早さんの為に美味しいおそば屋さん調べて来たの!」
 美希が、お蕎麦なんて似合わないわね――そう言おうとして、何かが引っかかった。
 ――私の、為に?
 最近お蕎麦が気になっている、という話は先日のトーク番組の中で初めて語った事だ。
 急に話を振られ、苦し紛れに出た答だから、事務所の中でもしていない話。
 そして、その番組のオンエアはまだ先のはずだ。
「美希……その話、誰から聞いたの? 私の今日のスケジュールは?」
 射抜くような目の千早の顔と、的のように真ん丸な目の美希の顔が向かい合う。
 この瞬間だけは、ライオンが食われる側だった。



 転ぶ春香の姿を、千早は部屋の外から眺めていた。
 プロ意識が足りない。
 そんな言葉を投げ付けた自分を、本当に恥じていた。
 春香はレッスンを続け、私は途中で投げ出した――今は、それが客観的な事実だ。
 頬に沿う髪が汗で濡れ、細い束になって顔を打っている。
 それでも顔を正面へ向け、笑顔を絶やさない春香は、千早の目にとても眩しく見えた。
 館内に、小さなチャイムの音が響く。12時の合図。
 同時に、2つの音がした。
 1つは千早の携帯のメール着信音。
 そしてもう1つは――。

 運動神経が足りない。ダンスのセンスが足りない。練習量と応用力が足りない。
 それは誰かに指摘を受けるまでもなく、春香自身、良く分かっていた。
 今はそれに加えて、水分が足りない。酸素が足りない。睡眠時間が足りていない。
 頭で考えた事が体に伝わるまでに、タイムラグがあった。
 まるで、他人に指示を出して動いてもらっているような感覚だった。
 春香は床に両手を突いて、息を整える。
 顎と鼻先から、汗の雫が落ちる。
 ポタリ。
 その雫の先に、白いダンスシューズのつま先が見えた。
「明け方まで長電話なんて、ダメじゃない」
 戻ってきてくれたんだ――そう思って、春香が嬉しそうに顔を上げる。
 だが、千早の顔は、春香の笑顔と対照的だった。
「今日はダンスレッスンだって知ってたのよね?」
 もちろん、知っていた。
 だから春香は、入浴も早めの時間に済ませたし、ご飯も軽めにした。
 いつもより早く布団に入った。
 ただ――鳴った電話を取ってしまった。
「だって、美希が千早さん、千早さんって嬉しそうにしゃべるから……」
 なんとなく、悔しかった。
 千早とは、春香の方が先に出会っている。
 今も、千早とユニットを組んでいるのは春香だ。
 それでも美希は、そんな事はお構い無しに自分の気持ちに正直に、千早を慕う。
 ――私は、デュオだから、パートナーだから迷惑かけないように、って。
 春香の目に、小さな雫が浮かぶ。
「私だって……」
 聞こえるか聞こえないかの小さな声。見上げる目。
 その声は、その視線は、そしてその心は、確かに千早に届いていた。
 千早は一瞬口を開きかけたが、何も言わず、顔を背けた。
「今日の午後のオフ、無しだから」
「え?」
 努めて冷静に伝えようとした千早だったが、用意していた言葉は全て飛んでしまった。
「今日中にダンスレッスン仕上げるの。16時から、レッスン再開よ」
 淡々と事務的に言葉を伝える。が、春香には全く意味が分からない。
 千早はそんな春香に、携帯を見せた。
 そのメールの差出人は、プロデューサーだった。
 『お疲れ様。向上心、大いに結構。15:30までは既に別の予約が入ってた。16:00以降は押さえた』
 そんなプロデューサーのメッセージを見て、春香は全てを理解した。
 まだ、今日のレッスンは終わらない。
 このボーナスみたいなレッスンで完璧に仕上げれば、週明けは歌のレッスンなんだ――と。
 プロデューサーのメールは、ガッツポーズの右腕の絵文字。
 そして、『頑張ろうな』という言葉で締めくくられていた。
「そうだよね。へへ。私、頑張んなきゃ!」
 それは、まるで春の日差しのようで、明るく、前向きな笑顔だった。
「16時にはプロデューサーも来るわ。それまでは、自由時間よ」
 携帯をしまい、千早は春香に右手を差し出した。
 春香はその手を取り、そっと、ゆっくりと立ち上がる。
 千早はその春香の右の手のひらを上に向けると、左手で小さな鍵を取り出し、それを握らせた。
「このフロアのミーティングルームB室、16時まで使えるわ」
 ミーティング、と聞いて春香は一瞬、考え込んだ。
 また叱られるのだろうか、と。しかし、今の千早の顔に、そんな雰囲気は感じられない。
 鍵を握り、千早の顔をじっと見る。
「仮眠しなさい。3時間でも眠れば、ずっと楽になるから」
 千早は春香から目線を逸らし、まだ許していないという姿勢を保とうとする。
 それでも春香は、全て分かったような顔をして千早の顔を覗き込む。
 それが千早には照れくさくて、我慢ができなくて――。
 千早はつい、春香に背を向けてしまった。
 春香は、慌てて千早のジャージの袖を掴んだ。
 まるで自分ひとりが取り残されてしまうような不安。
 まるで千早ばかりが先に行ってしまうような寂しさ。
 そんな感覚が、急に春香の心を揺さぶった。
「えっとね、千早ちゃん……」
 広いダンスフロアの中央で、まるで疲れた妹が姉にすがるような、そんな姿だった。
 言葉を、探す春香。けれど、その先が見つからない。
 ふと、千早と春香を繋ぐ橋の張力が弱まる。春香と千早との、距離が縮まる。
「私は、どこにも行かないわよ」
 その言葉は、今の話だろうか。
 それとも、これからの話だろうか。
 春香は一瞬だけ考えて、そして、自分にとって一番都合のいい解釈をする事に決めた。
 鏡の中に、笑顔が2つ、咲いていた。


                                                         【完】

テーマ : アイドルマスター
ジャンル : ゲーム

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動画も始めて3年経過。
こちら、デビュー作です。


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