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『眼鏡キャラ愛好志向概論』

「はじめに」


近年、キャラクターに対する愛情を、その特徴や象徴を記号的に分類し、
「◯◯萌え」と称する事がある。
このファン行動自体は決して近年始まったものではなく、かつては、
「◯◯好き」「◯○マニア」「◯◯フェチ」とも表現されていた。
厳密に言えば、「萌え≠エロ」なのと同様に「萌え≠フェティシズム」なのだが、
ここでは混同されやすいその前提を、イメージを容易にする為の意図的言い換えとして許容しつつ、
「なぜ『眼鏡キャラ』とは魅力的な存在なのか」について論じていく。
なお、この概論は記述者(ガルシア)の主観に基づいており、上記の、
『眼鏡キャラ=魅力的』というのは論の前提条件であり、検証の必要のない事実である。


「対象」

そもそも、『眼鏡キャラ好き』とはなんなのか、という点において、
世間一般において誤解されやすく、また『眼鏡キャラ好き』の中でも
幾許かの類型的偏差があるので、ここで整理しておきたい。

『眼鏡好き』を自称するあなたの前に、眼鏡をかけた女性がいるとしよう。
その女性はあなたの好みのタイプであり、その眼鏡はあなたの好きな形状だとする。
そして、その女性が、少なくともあなたに対して敵意や嫌悪感を持っておらず、
むしろ良好な関係を予感させる気配がある、とする。

【例題】
その女性が、今、あなたの目の前で眼鏡を外し、テーブルの上に置く。
そして、彼女自身はあなたに背を向け、立ち去ろうとしている。


さて、あなたはどうするだろう

【答A】
・迷わず女性を追いかける。


『眼鏡好き』というあなたの発言に嘘はないのだろう。
けれど、それは単なる『嗜好(英語:preference)』のレベルだ。
あなたが好きなのはあくまで「彼女」であり、その服装に強い執着はない。
「眼鏡を外すと可愛くなるから眼鏡キャラが好き」というのもこの範疇である。
髪の長い君も好きだけど、ショートもよく似合っているよ、と言える人格。
これは決して罪悪ではなく、むしろ幅広い寛容性として褒められるべきものだ。
そう、世間一般では。


【答B】
・女性が去るまで待ち、眼鏡をGETする。


あなたは間違いなく『眼鏡好き』である。ただし、どちらかといえば、少数派だ。
物に対する執着を『フェティシズム(英語:Fetishism)』と呼ぶ。
あなたは彼女の眼鏡を入手できた幸運を喜び、大切に懐に入れる事だろう。
本来的な意味で言えば、眼鏡をかけた女性が好き、というのは眼鏡フェチではない。
正しい意味の眼鏡フェチであるならば、かつて女性が掛けた眼鏡の中に性的魅力を感じ取り、
その由来と形状、機能美で満足できるのだ。眼鏡、嗚呼、眼鏡。
全ての性的快楽は物としての眼鏡に備わり、ここに主と従の価値の逆転が起きる。


【答C】
・眼鏡を手に取り、女性を追いかける。


これが、おそらく過半数の自称・眼鏡好きにとっての最適解である。
物としての眼鏡だけがあれば良い、という訳ではない。
けれど、それを捨てるなんてとんでもない! という意識。
精神性を内包した唯物的執着である『フェティシズム』と異なり、
「眼鏡を掛けた女性」という「状態」に対する執着である。
広義では『性的嗜好(英語: sexual preference)』に含まれる。
彼女が好きだ。そして、眼鏡を掛けた彼女は、もっと好きだという事実。
どちらが欠けてもならない。両者は揃ってこそ完璧なのだ。


ここで余論を2つ挟む。

1つ目は、「眼鏡を外すと美人になるから眼鏡好き」という論説について。
これは視覚的な変化も然ることながら、
「この子の本当の価値を知っているのは自分だけ」
という独占欲的な満足をもたらす付加価値である。
つまり、この発想で眼鏡好きを公言する者にとっては、眼鏡である必然性は薄い。
極論、外ではいつもガスマスクを付けていて、友人から、
「なんであんなのと付き合ってるの?」「もっといい女いるだろ」と言われて、
2人っきりになった時だけガスマスクを外して実は美人な素顔を独占、でもいい。
眼鏡でなくとも、メイク、髪型、服装、その他なんでも構わないのだ。
自分だけが知っている彼女の真の、魅力的な正体――そこに価値を見出す。
その意味合いでは、元来的な意味の「ツンデレ」に感じる魅力と近いのである。

2つ目は、「誰でも適当に眼鏡掛けりゃ好きなんでしょ?」という論説について。
これが当てはまるのは前掲の「A」に相当する眼鏡好きだけである。
「A」にとって眼鏡は本来備わったその女性の魅力を減算するものである。
だから、その眼鏡に対する極端なこだわりはない。
逆に「B」のタイプの人にとっては、「誰でも――」は禁句である。
実は誤解されがちだが、「B」のタイプの人間にとっては、
「それが誰の眼鏡である(あった)か」が実に重要な意味を持つのである。
決して、物質としての眼鏡が好きな訳ではなく、その背景が大きな意味を持つ。
眼鏡屋さんに行くだけでハァハァできる訳ではないのだ。
その眼鏡は愛する女性の象徴であり、魂の分け身である。
だからこそ、ちょっと掛けただけのインスタント眼鏡になど興味はない。
毎日掛け、愛用し、肌身離さず付けたその眼鏡にこそ、魅力があるのである。
「C」タイプの人間にとってはどうか。これは、実は難しい。
「C」タイプの人間はまず間違いなく「誰でも――」に対して反論をするのだが、
実は反論をする理由の主は「適当に」という部分であり、またこの発言者が、
眼鏡好きを小馬鹿にしている、という空気満載だから耐えられず、反論するのである。
意外に思われるかもしれないが、根本思想で言うと、「C」は件の発言を肯定する立場だ。
「誰でも適当に眼鏡掛けりゃ好きなんでしょ?」
この発言を、他意なく、誠実な言い方に変えてみよう。
「どんな女性でも、似合う眼鏡を掛けると魅力が増すよね?」
――と、なる。この発言を、真っ向から否定することは難しい。
唯一、否定的要素があるとすれば、その対象である女性が全く眼鏡を必要とせず、
ファッションの一環、オシャレアイテムとして眼鏡を捉える場合であるが、
その点については、後述する。
ここで簡単に方向性を示すとすれば、
必然性のある眼鏡は天然物、演出の為の眼鏡は養殖物、と例えられよう。
世間全般、天然物の方が喜ばれるが、養殖物にも相応の価値はある。
ただし、人によっては天然のみに価値を置く事もある。
これも後述に含むこととする。



「理由」

ここで、根本的な理由に立ち返ってみよう。
すなわち、「なぜ我々は眼鏡を掛けた女性に心惹かれるのか」という点である。
この対象が女性ではなく男性の場合、あるいは主観者が同性愛的傾向にある場合は、
論説に若干の変化が生まれる可能性があることを、先んじてお詫びしておく。
ここでは概論として、あくまで原理原則、幹の話とする。

「眼鏡を掛けた女性」という点で、自身の嗜好に沿わない、という方は、
(そんな方がこの長考を読んでいるかどうかはさて置き)
以下の論説を自身の嗜好に合わせて随時想定して頂きたい。
内容は髪型、服装、あるいは胸のカップ数の大小まで、いずれでも構わない。


改めて、男性が女性を求める理由について、考えてみよう。

「ベターハーフ」という言葉がある。
元々人間というのは完全な球体であり、それが生まれる時に2つに割れる。
片方が男性になり、もう片方が女性になる。
だから人間は完全な球体になる為に異性を求めるのだけれど、
割れた面がピタリと合う相手はたった1人しかいない。
だから人間は、生まれる前に自分の半身だったただ一人を探すのだ――。
そんな意味の言葉である。
これは中国の陰陽思想にも通じる所がある。
男性は「陽」であり、女性は「陰」という二元論である。
深掘りすれば色々と深いのだが、ここでは単純化して考える。
つまり、男性と女性は対極にあり、それゆえ自己の補完の為に相手を求める、と。

男女の差異について、至極単純化した二元論に落とし込む。
一般的な概念としての性差であり、個体差、文化的な背景による例外は勘案しない。

・男性は陽であり、女性は陰である。
・男性は外交的/活動的であり、女性は内向的/思索的である。
・男性は肉体的であり、女性は精神的である。
・男性は、大きく、強く、固い。女性は小さく、弱く、柔らかい。


例は枚挙に暇がないので、この程度とする。
原理原則として――、
1:我々は、自分に無いものを備えた相手を求める。
2:我々は、自分自身を肯定してくれる相手を求める。
3:それを備えているかどうかの判断材料として、記号を手がかりとする。

――という3点を理解して頂きたい。
すなわち、キャラクターの眼鏡とは、記号化された特性の象徴なのである。
以降、具体例を挙げて検証していきたい。


fuka.jpeg 浅野風香 16歳
160cm 48kg
2月11日生まれ A型

彼女にとっての眼鏡は「不安」の象徴である。
左手で眼鏡を下げ、或いは上げている様子から、眼鏡越しと裸眼、
2通りの視覚で対象物を確認しようとしている。
これはどちらか片方では確信が持てず、両方を試行することで、
少しでも得る情報量を増やそうとしているのだ。
また、頭を守る右手の仕草は不安感と臆病さを現し、
体のラインと肌の露出を徹底的に隠す服装は、体型への自信の無さを示す。
髪の毛の二つ縛りは、決してお洒落ではなく、むしろ保守的なスタイルだ。
低いサイドでの二つ縛りは、鏡を見ずとも自分でできる髪型である。
コンタクトレンズではなくベーシックな眼鏡という選択と合わせ、
彼女には、他者の目を意識して外見を飾り立てようという意識は全く無い。
あるいは、意識はあっても行動に移す勇気がない、という事が窺える。

この女性像に対して、男性は圧倒的な優位から接する事ができる。
自己否定する彼女に対して肯定のメッセージを送ることで、
自分は彼女の理解者であり、彼女の魅力を見出す事のできる人物たりえる。
そして、保護者であり先導者である立場に立つ事ができるだろう。
そこに強い絆と信頼が生まれる事はおそらく確定的であり、
その結びつきは主導権を手にしたまま長く続く事が予想されるのだ。


haruna.jpeg  上条春菜 18歳
156cm 42kg4月10日生まれ O型

彼女にとっての眼鏡は「理解」の象徴である。
無造作に肩まで下ろしたストレートの髪、ゆるいTシャツに対し、
ピンク色のフレームの眼鏡を掛けている。
おそらく、彼女が身に着けている物の中で一番高価なのが眼鏡だ。
これが実用性の伴わないファッション眼鏡である可能性は低い。
なぜなら、眼鏡以前に気を使うであろう服装が手付かずだからだ。
眼鏡というパーツはファッションとして扱うなら優先順位が低く、
それを支えるための土台となる相応の衣服、髪型が必要となる。
そこから、彼女にとっては眼鏡が必要不可欠であると推測できる。
なぜ眼鏡が必要不可欠となったか。
読書かゲームが原因ではないか、と想像するのが一番自然だ。

この女性像に対して、男性は大きな期待を持って接する事ができる。
彼女はおそらく、何らかのインドア趣味を持っている。
だとすると、彼女は男性側のインドア趣味にも理解を示してくれるだろう。
あわよくばそれを共有し、共に楽しむ事ができるかもしれない。
これは自己肯定の享受であり、精神的に強い癒しの要素となる。


mahiro.jpeg  北川真尋 17歳
158cm 43kg
2月17日生まれ O型

彼女にとっての眼鏡は「意外性」の象徴である。
ショートカットの髪に斜め掛けにしたスポーツバッグ――。
彼女が軽快な格好を好むアクティブな性格である事が窺える。
にもかかわらず、動きの邪魔になりそうな眼鏡を掛けている。
おそらく体を動かすことが好きであろう彼女が、なぜ眼鏡なのか。
眼鏡を邪魔そうにしている訳でもなく、自然に手を添えている。
右手を腰に当て、少し得意気ですらある。
眼鏡が象徴する「ひかえめ」「物静か」とは対極の印象。
この記号間のギャップが、大きな魅力と映る。

この女性像に対して、男性は大きな興味と共に接する事となる。
彼女はまるでおもちゃ箱のように、予想外の驚きをもたらすだろう。
その驚きは常に新鮮さを伴い、決して飽きることがない。
おそらく物事に対する視点や考え方も、自分とは違うのだろう。
常に新しい感性で、新鮮な喜びを共感できる関係には価値がある。


ritsuko.jpeg  秋月律子 19歳
156cm 43kg
6月23日生まれ A型

彼女にとっての眼鏡は「合理性」の象徴である。
女性らしいレースとリボンをあしらった服装をしているが、
その実、髪型、上着、ショートパンツと全て動きやすさを重視している。
そんな中、彼女の眼鏡は色の濃いセルフレームである。
彼女は自分にとって何が必要か、優先順位をしっかり付けている。
そしてその範囲の中で、ささやかながら遊び心を持ち、楽しんでいる。
リラックスした雰囲気の中で、彼女自身は喜びを見出している。
おそらく彼女にとって、眼鏡も合理的なアイテムなのだろう。
コンタクトを勧めたら、洗浄の煩雑さ、紛失のリスクを語られるだろう。

この女性に対して、男性は大きな信頼を寄せることができる。
優先順位を付け、物事を合理的に処理する能力はとても重要だ。
そんな女性が自分をサポートしてくれるなら、これ程心強い事はない。
また、主従が逆で彼女の側がメインの活動をするとしても、
筋道を立てて物事を進める彼女を見て、イラつく事はないだろう。
しっかりとしたパートナーとして支え合える関係が、そこにある。


ここまでの具体的な例を通じて、インスタント眼鏡(おしゃれ眼鏡)について
少し論じたい。
オシャレの為に眼鏡というアイテムを利用することの賛否はさて置き、
その「本来必要でない眼鏡」というのは、実は眼鏡好きにとって価値が薄い。
なぜならば、その対象者の本質と重なる部分が無いからである。
人生の伴侶としての眼鏡、生活に欠かせない眼鏡は、まさにそのキャラクターの
象徴となる訳だが、単にファッションの為の眼鏡にはその力が無い。
だが、眼鏡そのものが有する「知的」「静的」「思慮深さ」といった魅力が、
その眼鏡を通じてキャラクターに付加される、という事実は確かである。
「眼鏡好き」にとっての眼鏡としての価値ではなく、
適切な+αの魅力づくりとして、その眼鏡の価値は否定すべきではない。



「おわりに」


様々な形で、眼鏡キャラの魅力とは何かを考察してきた。
ある種の人間にとって、それは耐え難い魅力であり、
また別の人間にとって、それは価値の低いものである。

つまり――、
『キャラクターの掛けた眼鏡の魅力とは相対的なものである』
――という事だ。

故に、眼鏡キャラ、というだけで一纏めにしてはいけないし、
眼鏡好き、というだけで一括りにしてはいけない。
これを、この概論の結論とし、更なる全ての眼鏡学が共有すべき礎の一つとしたい。

私達眼鏡キャラ好きは、自分がなぜ眼鏡好きなのかを自ら考え、
自分にとって最も愛すべき眼鏡キャラは誰なのかを常に考え続けるべきである。
それは、あたかも眼鏡キャラが自分にとって最も適した眼鏡を選ぶ、
その心境にも似た、ある種神聖な儀式である。
時と場合に応じて眼鏡の種類を変えることに、罪も不義もない。
眼鏡キャラが常に真正面から、真摯に相対し、眼鏡を選ぶように、
私達も眼鏡キャラを愛し、その魅力を心に刻み続けて行こうではありませんか。


以上を以て、『眼鏡キャラ愛好志向概論』とし、ここに筆を置く。
愛すべき眼鏡キャラと、眼鏡キャラを愛する全ての人へ――。

テーマ : アイドルマスター
ジャンル : ゲーム

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No title

こんにちは、いつも動画楽しませていただいてます。
そろそろ広告対策のブログ更新来るかなーと思っていたら、これは深いですね。
個人的嗜好があまり強くなく、人気投票選挙でも「みんな可愛くて誰かに絞れん」というようなタイプの私には、なるほどと関心させられました。
こういうのって、文章で説明するのって苦手なんですよね・・・さすがの文章力です。

ところで先生、奥山さんと荒木さんと池袋さんと相川さんがいませんが?

御礼。

ご来訪ありがとうございます。
自分自身、眼鏡好きを公言して憚らないのですが、
色々と世間様から見ると分かりにくい志向なんだろうなと思い、
こんな物を書いてみました。堅苦しく論文風に書いてる所が笑い所です。

> ところで先生、奥山さんと荒木さんと池袋さんと相川さんがいませんが?

来るよなぁ、と思っていたご指摘、ありがとうございます。
今回取り上げた4人は眼鏡主軸で比較対照し、論ずることができるのに対し、
その4人は、眼鏡軸では語り尽くせないくらい記号的・象徴的要素が多く、
論として大変煩雑になり、主題から離れる可能性があった為、触れませんでした。
奥山さん、荒木さん、あと古澤さんの「特訓後に眼鏡を外す」という特質もまた、
議論の余地があるテーマですね。

No title

いわゆる「萌えキャラ」のパーツについての考察はいくつか読んだ事があるけれど、ガルシアPのはわかりやすくていいね。
俺もいわゆる「メガネスキー」なんだが、俺にとって眼鏡ってのは「知性」の象徴ですな。二次三次問わず、知的な女性が眼鏡かけてんのが良いという奴です。
ま、要するにリツコスキーってことです。

感謝。

長文読んで頂いてありがとうございます。
「なに真面目に語ってんだよwww」的な文章を目指してみました。
知的な女性って、いいですよね。
学力の高低ではなくて、頭の回転が速いか遅いかで。
こちらの言葉や考えを、正しく受け止めてくれるとか、
そこに+α付けて反応を返してくれるとか、幸せです。
人を外見で判断しちゃいけないよ、というのは正論ですが、
昔いたガングロヤマンバギャルにそれは期待できませんからねw
これからも、素敵な眼鏡キャラが増えますように……

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プロフィール

ガルシアP

Author:ガルシアP
◎レッガー=●カブキ=カブトワリ

twitterでは “ gar_cia_P ”。

SS書いてましたが、
動画も始めて3年経過。
こちら、デビュー作です。


360版からアイマス界に参加。
ゲームもCDも中の人達も、
ニコマスもSSも、大好き。

Web-:http://garciap.web.fc2.com/
mail:underkoverloverz◆gmail.com

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