血と鉄と、鉛と硝煙。

この前の三連休中、個人的に、ノベマスを2タイトル一気見した。





別に、何か心がササクレだってた訳でもないし、
何か暗い気分だった訳でもないけれど、
なんとなく、バイオレンスでスプラッタなノベマスを見ていた。

むしろ、平穏で、快適で、安全で、普通の日々だからこそ、
この作品群を見たのだと思う。
2つとも、鬱々とした気持ちでは立ち向かえないタイトルだ。

『IDOL L@GOON』は過去、双子編の終わりまで見ていた。
今回、第一話から見直した。

『S@Wシリーズ』も、やはり1stシーズンのラストまで見ていた。
最新話のサムネイルで、ちょっと議論が起きた事は知ってた。

改めて、2つのシリーズを見てみた。

自作『とのばな』であるアイドルが事件に巻き込まれた、という過去話があって、
その時に、ショックを受けて視聴をやめると宣言した人や、
警告の注意書きがない事に憤りを訴える人がいたのだけれど、
それはある種、予想外の展開だったからで、
予測していない所からの攻撃を受け、大きなダメージを、
あるいは、視聴を続ける上での致命傷を負ったという事かも知れない。
(なぜ自作に注意書きを入れないのか、は別の機会に改めて語りたい)

それに対して、この2シリーズは、動画冒頭にしっかりと注意書きがある。
そして、欠片ほどでも元作品を知っていれば、それは容易に想像がつく。

登場人物達が、無事で済むはずがない――。


その意味で言えば、この動画を見る人間は、
そのレベルが充分か不十分かはさておき、なにかしらの『覚悟』があるはずだ。
そしてわざわざ、そんな『覚悟』が必要な動画を見ようという人間が、
この世界には少なからず存在する。

これは、とても、興味深い事だと思う。

笑顔と、歌と、ダンスと。時にその魅力的なスタイルで。
人々を笑顔にし、励まし、勇気付ける為にスポットライトを浴びるはずの彼女達が、
血みどろの闇の底で絶望しながら生き残るために戦う様を、あるいは死にゆく様を。


『覚悟』など一切必要としないまま見ている人も、いると思う。
全ては、アイドル達が出ている映画かドラマを見ているような感覚で。
誰も死んでないし、痛い思いもしていないし、ああいう演技だ、と。
それはそれで、非常に快適な楽しみ方だと思う。ある意味、現実的で、芸能界的だ。

ただもう一方で、全てを『この世界の真実』として見ている人も、いると思う。
感情移入し、その心境を慮って、共に悩み、共に苦しみながら。

何を求めているのだろう、と考える。

アイドルが苦しみ、のたうち回る様を見たくて?
絶望し、血まみれになる姿を見たくて?

そんな嗜虐趣味な視聴者は、少数派だろう。
……少数派、だよね?


じゃあ多数派は何を見ているのだろう。
おそらくそれは、突き詰めればただ一つのシンプルな答であって、
極限状態のアイドルが見たいんだと思う。

おおよそ日常から離れた、スポットライトから遠ざかった、
それどころか、命の危険にさらされて、
自我の崩壊の瀬戸際で、自分の命と仲間の命を天秤にかけるような、
そんなギリギリの選択と決断を見たいのだと思う。

アイドルマスターの世界とはおおよそかけ離れた、
血と鉄と鉛と硝煙の臭いに囲まれたアイドル達の姿を見て、
精一杯感情移入して、その一挙手一投足に心奪われたいのだと思う。

ああ、間違いなく地獄だ。
たからこそ、そこに垂れ下がった蜘蛛の糸に価値を見出し、
いつ消えるとも知れない蝋燭の火を後生大事に守ろう。

救いが来るなんて、思っていない。
嵐が過ぎ去るのをじっと待てば助かるなんて思ってない。
死ぬかもしれない。殺されるかもしれない。
だったら……

そんなアイドル達の一面は、やはりこういう世界でしか見得ないのだ。
そしてそれもまた、彼女達の魅力の鱗の一枚なのだ。



こういう話の作者は、内外で気苦労が多い事だろうけど、
それでも、これらの作品群を生み出した作者に、
アイドル達を極限の環境下に突き落とした作者に、拍手を贈りたい。

私も、似た方向性でいくつか構想「だけ」はあるのだけれど、
考えるのと、作り始めるのと、完成させるのには大きな溝がある。
その溝を越えた先達は、すごい。いや、漢字で書こう。凄い。

人を選ぶ作品だけど、
人に選ばれる作品でもあると思う。

『I wanna play the game.』
「ロビン・フッドがいねェなら、ロビンフッドになればいい」

テーマ : アイドルマスター
ジャンル : ゲーム

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「悲劇的な人生はロマンチックなのよ。それが他人の人生ならね。」

私自身は楳図かずお先生の作品に慣れ親しんでますし、加えて性悪説で北野武監督の破滅的な作風にも憧れが強いので
スプラッターや欝展開には耐性があります。
ただ、そういった『覚悟』のある視聴者にも不意打ち的な恐怖を与えられるのが作り手の巧みなところで
例えば「その男、凶暴につき」では一般人が誤射されるシーンが特にショッキングでした。
描かれる世界が裏社会である以上、描写が凄惨さを増してもある程度は「対岸の火事」であるという安心感があるのですが、
そこに一般人が巻き込まれると脅威が日常にも侵襲してきたような錯覚というか、悪夢が現実と化したような恐怖感があります。
「闇金ウシジマくん」でもやはり一般人が理不尽に巻き込まれるシーンが別格の恐さでした。

いきなり話が逸れてしまいました(汗)。
> 極限状態のアイドルが見たい
私も傷跡のあるキャラや満身創痍で戦うキャラには愛着がありますから気持ちはなんとなくわかります。
「苦痛を求める行為は苦痛自体を求めてのものではなく、『副次的な快感』を求める行為の裏返しである」という考え方ですね。
「マゾヒズムの思考回路」とでも言いましょうか。
苦痛に耐える自身に酔う、もしくは苦痛に耐え抜く第三者の姿に美意識を感じることで苦痛に美徳を見出す。
拷問マニアの中には「苦しむ姿」ではなく、「苦痛に耐える姿」に憧れたケースもありますからね。
また、「苦痛」を乗り越えた先の「カタルシス」を求めた結果、条件反射的に苦痛を求めてしまうケースもあります。
「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」という名言がありますが、一部のマゾヒスト(あるいはサディスト)は
メリットとデメリットのバランス感覚がおかしいのか、手段と目的を取り違えてしまっているのかもしれません。

>自作『とのばな』であるアイドルが事件に巻き込まれた、という過去話があって
あのエピソードは確かに見る人を選ぶ内容ではありましたが、それ以上に危惧したのはあのエピソードによって
視聴者が現実に引き戻されてしまうことです。
生々しいエピソードは視聴者の熱を一瞬で冷まし、かけた魔法を解いてしまう聖水のようなものですから
その後に人間讃歌の展開に持ち込んでも視聴者が気持ちよく盛り上がってくれず冷めた目で見てしまう危険性があります。
映画「マジェスティック(`01)」もドラマとしては感動的でしたが、赤狩りを題材にしたのは最大の失敗でした。
尤も、事件の真相はドラマチックであると同時にフィクション性が強いものだったのでそれで緩和された印象はありますけどね。
いずれにせよ、人間讃歌のストーリーに現実的な重い設定を持ち込むのはリスクが高いです。

>その溝を越えた先達は、すごい。いや、漢字で書こう。凄い
創作者には得手、好みに限らず多種多様なジャンルや切り口の作品に挑戦してみたいという好奇心、というか創作意欲を
程度の差はあれ持ち合わせている人が多いと思いますが、
そうした書き手の立場からしてみれば自分の思いつかなかった世界や描けない世界を描ける人は憧憬、羨望の対象ですね。
ときには「その手があったか!」なんて思うことも。
ましてや多忙な商業作家ともなればチャレンジしたくとも脇道に逸れることもままならず・・
そう考えるとドラえもんやジョジョのように設定が緩い「何でもアリ」の作品は書き手からすれば羨ましい限りでしょう。
事実、F先生も荒木先生も作中でその無尽蔵のイマジネーションを遺憾なく発揮しているわけですし。

>アイドル達を極限の環境下に突き落とした作者に、拍手を贈りたい。
「アイマス昼ドラ物語」もこれぐらい思い切りが良ければもっと盛り上がると思うんですけどね。
長引く膠着状態と肝心な場面でのヌルさが勿体ない作品です。
好きなシリーズなのですが。

御礼。

作者は作りたいものを作る。
視聴者は見たいものを見る。
ただそれだけなのに、それでは済まない事が多いですよね。
そのズレとか軋轢が、プラスに出るかマイナスに出るか、という事。
そのズレとか軋轢が、無い方が幸せなのか、という事。

レトさんのコメントを読んでいて、
ノベマス作者に限らず、ほぼ全ての二次創作者は、
ファンであり視聴者である消費者としての側面と、
作者である生産者の立場を持っていて、
その消費者としての側面を満たす自給自足の為に創作している立場と、
自分以外の消費者に製品を提供する為に創作している立場を持ち合わせていて、
どっちにウエイトを置くかで、芸術家とプロフェッショナルの差が生まれるんだなぁ、
みたいな事を考えてしまいました。
上手く言語化できていないですが、
ニコマスにおけるプロ論みたいなものの解釈としては、
とても分かりやすく書けそうなので、もう少し考えてみたいと思います。

No title

芸術家タイプは最終的には自身のプライドとの闘いでしょうが、消費者の目を意識するとなると一様にハードルは上がるでしょう。
消費者のニーズを満たしつつ自身を見失わないバランス感覚が重要です(消費者を虜にするか、消費者の虜となってしまうか)。
商業でそのハードルを越えるためのトレーナー兼、水先案内人役が編集者でしょうね。
もっとも、ネット自体が閉鎖的なコミュニティなので消費者の嗜好性がやや特殊なのもまた複雑です。

現時点で思うところは大体こんな感じです。後日、また改めてコメントさせてください。

「きっと涙を隠すために笑っていたのね」

フィクションの中にはご都合主義に期待できない重く暗い内容を扱いながらも清々しい後味を持って終わる作品もあります。
これらの作品に共通するのは登場人物(主に主人公)が逆境に負けない強さを持った最高に魅力的なキャラということです。
「クライシスコア」のザックスや「プルートで朝食を」のキトゥンなどがその例です。
彼らは単に陽気で能天気なだけのキャラクターではありません。
むしろ厳しい現実に立ち向かうために強く気丈に振舞おうとするいじらしいキャラでもあります。
だからこそ彼らが弱さを垣間見せるシーンでは胸が締め付けられますし、懸命に前を向く姿には勇気づけられます。
最高にグッとくるシーンは彼らが(意図の有無に関わらず)そのキャラクターによって他者を精神的に救うシーンですね。
彼らこそが人々に希望をもたらす真のヒーローと言えるでしょう。
少年漫画においても行為だけでなくキャラクターによって他者に影響を与える「ヒーロー型主人公」のようなキャラが存在します。
「幽☆遊☆白書」の幽助や「ピンポン」のペコは仲間のみならず、悪役やライバルにまで救いを与えた
正しく王道のヒーロー型主人公でした。
非情で残酷な現実においても挫けず立ち上がる人間の底力、そしてそんな人間が周囲を希望の光で照らしていく過程、
それを描いていくことも人間讃歌の一つの形なのでしょう。

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プロフィール

ガルシアP

Author:ガルシアP
◎レッガー=●カブキ=カブトワリ

twitterでは “ gar_cia_P ”。

SS書いてましたが、
動画も始めて3年経過。
こちら、デビュー作です。


360版からアイマス界に参加。
ゲームもCDも中の人達も、
ニコマスもSSも、大好き。

Web-:http://garciap.web.fc2.com/
mail:underkoverloverz◆gmail.com

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